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執筆者の写真maoko.teshima

助けてと言える勇気

更新日:2020年6月9日

 小さなころは~神様がいて〜♪


 かあさんです。

 今日も楽しく戯れる娘たちの様子を見ながら、ふと、この子達が小さなときにわたしは大人としてその可愛い夢や希望をかなえていただろうか。。と考えてしまいました。

 基本的に我が家の娘たちは、昔から「あーして、こーして」ということが無く、世の中のお父さんお母さんが子供のために夜明けとともに起きだし、将来何かを成し遂げるかもしれない我が子の可能性を信じて一途に頑張る。。ということを、かあさんはしたことがありません。はい、まったく。。

 現在、大学生と高校生になった娘たちは、鬱々としがちなステイホームの最中も特にストレスで駄々をこねることもなく、いつも通りふたりで楽しく歌を歌い、ゲームをして、出される課題にブツブツと独り言を唱えながらも、黙々とこなすという毎日を繰返していました。


 「こんなにいい子でいいのかよ!」


 かあさんは、毎日なんかしら凹んだり、凹んだり、自分で勝手に、凹んだりしています。~ やつらがそんなにできた人間のはずがない。~ 歪みきったネガティブ思考は、周囲の人間も自分と同じにせずにはいられません。なんだか、自分が更にダメ人間になったようで、頭がグルグルしてきました。(@_@。

 おいおい、ちょっと待て。曲がりなりにも組織とか、ヒトとかの話をしてるのに、こんなんでいいのか…。

            ★ 落~ち~着~い~て〜 ★ 


 



 

 さて、少し落ち着いたのでまじめに。


 そう、彼女たちは傍から見ていると幸せそうに見えます。己の分を知り幸福の意味を本能的に感じて、それを信じている。といったように。

 はたしてそれは本当の彼女たちの姿なのでしょうか。

 心の内は誰にも見えません。それが見えるのは自分だけです。だからこそ自分だけが知る自分の感情に正直に向き合い、そして理解し、その感情をどのようにして表現(他者に伝える)すればいいかを考えればいいのです。しかしながら、自分の感情に正直に向き合うことができない、ということは多々ありますし、言うほどに簡単なことではないのですが…。

 そんなことを思いながら、ついこの間読んだ大好きなシャープさんのコラム:日課と幸福 にもあった「最小単位の幸せ」を思い出しました。


 https://comici.jp/articles/?id=21375    ⇐ 素敵なお話です。是非お読みください。


 …とすれば、娘たちの楽しそうな姿は「表現」にしろ「ちいさな幸せ」にしろ、それが彼女ら自身の感情に逆らったものでなければいいことを祈るしかありません。傍のかあさんには、残念ながら彼女らの内心の感情を知る術はないのですから。


 はてさて、愛情表現がこじれているかあさんの放任主義的にも見える態度が、幼いころから、彼女たちの可愛い小さな夢や希望を「どうせ言っても無駄だ」というあきらめに変換させ、何かをお願いしたり、人の手を借りてでも手中にしたいと渇望する、そんな熱い想いをどこかに置き忘れさせてしまったのかどうかは、結局のところ、わからないままです。

 ただ、彼女たちは、もう小さい頃には戻れないし、これから湧き上がってくる自身の内なる衝動に対してどう行動するかは、かあさんが決めることではありません。ただ、それでもまだ何かができるのだとしたら、彼女たちが少しだけ外に向かって「助けて」と言える勇気を持てるように、彼女たちの全てを信じることだけなのです。

 ただ、ただ、無条件に信じているよ。

 

#ゆるふわ #シャープさん #行動心理 #ステイホーム 

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